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元号あれこれ



今上天皇の退位が2019年4月30日と決まり、平成時代の終わりまであと3か月余り。

新元号の発表はまだ少し先ですが、元号を通して歴史を辿ると、当時の時代背景や人々の思いと密接に関わっていることがわかり中々に興味深いです。

そんな「元号」にまつわるお話をいくつかご紹介。

日本最初の元号ってなに?

日本の元号の始まりは「大化」です。

あの645年「大化の改新」の「大化」です。

中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺したあれです。

元号はもともと中国発祥で、紀元前115年頃に前漢の武帝が『建元』という元号を定めたのが始まり。

中大兄皇子らが蘇我氏を滅亡させ、『大化の改新』を始めようという年に中国の制度を取り入れ、“文明国の象徴”として元号を使うようになります。

当時のアジア諸国が中国の属国となるなか、中国の元号ではなく日本独自の元号を定めたことに、日本が自立しているという意識が表れています。

歴代元号231個。その改元理由とは。

日本の歴史の中で使われてた元号はなんと「231個」。


天皇125代にくらべ、元号は倍近くあります。

現代では天皇交代に合わせて元号を変えますが、それは明治からのことで、それ以前は特にルールもなく頻繁に改元されていて、年に3回も変わった年も。

天皇が変わる時はもちろんのこと、吉兆のようなめでたい前触れが起こったときや、その逆で地震や火災などの天変地異や、疫病が起こったときの厄除けのために改元されたりしていました。

ちなみに奈良時代には12回元号が変わったのですがそのうち4回は

715年:珍しい亀が見つかったから 724年:珍しい亀が見つかったから 729年:珍しい亀が見つかったから 770年:珍しい亀が見つかったから

奈良時代の人、亀好きすぎぃー!

他にも雲が奇麗だったから、とか外国から珍しいものをもらったから、とか温泉行ったら天皇の手がすべすべになったから、とかほのぼのと改元。

奈良時代かわいい。

元号が4文字だった時期もある。

元号は2文字のイメージですが基本何文字でもいいんです。

実際、なんかかっこいいからぐらいの理由で749年から5個連続で4文字の元号が使われていました。

天平感宝(てんぴょうかんぽう)

天平勝宝(てんぴょうしょうほう)

天平宝字(てんぴょうほうじ)

天平神護(てんぴょうじんご)

神護景雲(じんごけいうん)

と続いた後、なんか長いし覚えにくいし書くの大変だし、と2文字に戻り、以降すべて2文字の元号が使われます。

これも奈良時代のはなし。

平安以降はとにかく嫌な事あったら改元

ほのぼの奈良時代も終わり、平安、鎌倉、室町、江戸時代と進んでいくと、地震や火災、疫病や飢饉などの、マイナスイメージの打破のために元号を変えるといったネガティブな方向へと変わってしまいます。

江戸時代の明和9年(1772)、江戸は大火に見舞われ死者が1万5000人近く出たり、洪水被害で19,000戸の家屋が破壊されたりと災害続き。

時の天皇は、これは明和9年=「迷惑年」だからだし!と言い出して改元。

現在、元号を使用してるのは日本のみ

中国で発祥しアジア諸国で使用された元号ですが

1911年に「清」が滅亡すると中国での元号制度が廃止され、現在世界中で元号を使用しているのは日本のみとなりました。

そんな日本でも戦後には欧米化推進派によって元号を廃止し西暦で統一すべきと元号廃止案が国会で議論されたこともありました。

GHQの指導の下で日本の文化や思想が壊されていく中、この元号廃止案はギリギリのところで当時の有識者たちによって回避されますが、それはそれぞれの時代の人々の思いや歴史を馳せる元号は決して無くしてはならないという思いからでした。

この時、国会に参考人として呼ばれた坂本太郎という歴史学者は、

「西暦は使いたい人は使えば良い。西暦は年数計算に便利というのは確かだが、国民生活の歴史という時代の視点が抜けている。つまりは西暦は「道具」であり、元号は「日本民族の文化」である。」と述べたのでした。

進士 素丸

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