- 2020年10月22日
落語にみる吉原文化「紺屋高尾」
落語は江戸時代に成立したといわれていますが、 もともとは大名衆、いわゆるお殿様のお伽衆(話相手)が噺家の祖とされています。 その後、江戸時代もなかばを過ぎると落語はだんだんと庶民の娯楽になっていきましたが 落語には江戸の文化や風習が当時のまま語り継がれている部分も多く、それゆえ江戸文化を色濃く伝える作品が多く見られます。 吉原の廓文化にスポットを当てた作品も数多くありますが 落語に出てく女郎と言えば、「三枚起請」の喜瀬川、「品川心中」のお染など、男を手玉に取りとんでもない目にあわせる文字通りの「傾城」であることがお約束となっています。 そんな中、落語に登場する代々の高尾太夫は情に厚く、純粋な心を持った美女として描かれることが多い。 高尾太夫は代々吉原の名妓で、歌舞伎十八番「助六」でおなじみの三浦屋の抱え女郎ですが、 美貌と高い品格と文芸に秀でた教養、才色兼備で武家のお姫様にも劣らぬ女性、太夫は江戸の理想の女性像とされており、落語の世界でも情に厚く純粋な人物像として描かれたのです。 6代目三遊亭圓生や7代目立川談志も得意とした 「紺屋高尾」(こうや