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小泉八雲誕生秘話


小泉八雲といえばイギリス人でありながら明治時代の日本に帰化し、欧米に日本文化を紹介する著書を多数執筆した作家。「耳なし芳一」や「雪女」「ろくろ首」などの怪談話をわかりやすく語り直す形で執筆したことでも知られています。

日本を愛し、日本で死んでいった彼は何故日本にやってきたのか。

八雲が日本にやってくる20年ほど遡ったヨーロッパ。

『十五少年漂流記』や『海底二万里』『月世界旅行』などの作品でSFの父と呼ばれるフランスの作家ジューヌ・ベルヌが『八十日間世界一周』を執筆した1872年。

『八十日間世界一周』は大ヒットとなり空前の旅行ブームが巻き起こります。

旅行ブームはアメリカにも飛び火します。

当時新聞社で働いていたネリー・ブライという女性記者がいました。

彼女は24歳という若さながら、悪い噂のある企業に潜入して内情を暴いたり、精神病院に潜入して患者への虐待を告発したり、コーラスグループに応募してショービジネスの裏幕を暴いたりと、突入取材や潜入取材を得意としていました。

書く記事は文章絶唱小気味良く、巨悪を暴く様は痛快鮮やか、おまけに美人のネリー・ブライは瞬く間に評判の記者になります。

記事になるとなればどこにでも飛んでいく彼女がジューヌベルヌの『八十日間世界一周』を読んで、世界一周旅行のレポート記事をやらせてくれと社長に直談判するまでそう時間はかからなかった。


ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』を本当にやってみようというこの企画。まだ女性単独では世界一周など誰もなしえていない時代。遂に社長から許可を貰います。

ちなみにこの時の社長の名はジョゼフ・ピュリッツァー。のちに、優れたジャーナリストに贈られるピュリッツァー賞を創設する人物。

社長からの許可を得たネリーはすぐさま準備にかかります。80日以内の行程を目指すネリーは極力荷物を少なくします。鞄にノートと鉛筆、替えの下着2枚と歯ブラシ、ハンドクリームの瓶を一個。

そしてジョゼフ・ピュリッツァーは新聞にでかでかと広告を打ちます。

「さあ、ネリー・ブライが、いよいよ世界一周に挑戦!」

この広告を見たライバルの新聞社。

うちも女性記者を送ってネリーとは逆に、西まわりで世界一周をさせよう。どっちが早いか競争させればうちの新聞も売れるぞと、ネリーが旅立った6時間後に無理やり女性記者に出発させます。

朝出社したらいきなり「世界一周してこい」と命じられた女性記者の名前はエリザベス・ビスランド。行動的な取材記者であったネリーとは対照的な性格で文芸誌出身。綴る文章も繊細で内向的。そうなると持っていく荷物も対照的で、あの服もこの服も持って行って帽子にブーツに手鏡に薬に化粧道具一式に裁縫道具、、、スーツケース2つ分の大荷物。

ネリー同様、美人で有名な記者であったエリザベス、才能豊かで詩的な文体はニューヨークに住んでいる作家達から人気だった。中でも一番エリザベスに夢中だったのが、ラフカディオ・ハーンという売れない作家。ラフカディオ・ハーンは彼女のことを女神と呼んでいたくらいだった。


同日に出発し、地球を東回りでまわるネリーと西回りでまわるエリザベス。果たしてどちらが早く4万5000キロの旅から帰還することができるのか。先に戻ってきた方が世界で最初に単独で地球一周をした女性になる。

二人が世界の行く先々から送ってくる記事にアメリカ中が熱中します。二人の記事も対照的で、いかに早く世界一周するかに執心するネリーと、行く先々の土地での触れ合いを楽しむエリザベス。

遂に決着の日がやってきます。

レースの勝者はネリーでした。その差わずかに3日。

途中エリザベスが優勢でしたが、予定していた高速汽船に乗り遅れたのが敗因でした。

世紀のレースを制したネリーはその後、数多くの商品の宣伝キャラクターとなり、ゲームにもなり、歌が作られ、競走馬にもその名を付けられ…とまさに一世を風靡する大スターとなりました。

一方、負けたエリザベスは文芸記者に戻り、やがて世間から忘れられていきます。

そんなエリザベスを不憫に思ったのか、一人の男が彼女に会いに行きます。彼女の熱烈な大ファンであったラフカディオ・ハーンだ。

ラフカディオ・ハーンはエリザベスにこう言います。

「世界中の国を見て回った君に聞きたい。一番美しかった国はどこだね?」

エリザベスは即答します。

「日本よ」

世界を西回りに一周したエリザベスにとって日本は初めて訪れた外国でした。

横浜に訪れたエリザベスは日本について以下のように書いています。

「人々は礼儀正しく親切で、どこへ行っても優しい親しみをもって迎えられました。街は清潔でとても美しい。女性一人で歩いても犯罪に巻き込まれることはなく安心して旅ができる。民家であってもそれは整然と並び、木と紙でできたマッチ箱のような家はまるでおとぎの国のよう。」

「花がたくさん飾られたホテルの庭には人力車が横一列に並んでいました。それぞれには、かわいい提灯が一つずつついていました。そして、富士山を照らす黄色い月。」

エリザベスはその美しさに心打たれ、その後も個人的に日本を訪れています。

そしてエリザベスはラフカディオ・ハーンにこう言います。

「あなたにも日本へ行ってほしい。あなたが日本について書く本を読んでみたいわ。」

ラフカディオ・ハーンはエリザベスの言葉を胸に日本に渡り、日本文化を欧米に紹介する著書を多数執筆します。

そしてやがて日本に帰化し、彼こそが「小泉八雲」と名乗るのでした。

進士 素丸



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