明治大正時代の総理大臣の皆さん、ちょっとおかしい。
やれ失言で叩かれ、やれ外交で叩かれとネガティブなイメージで語られることが多い総理大臣の皆さん。じゃあ日本の黎明期を支えた昔の総理大臣ってどうだったんよ?ということで大政奉還後の近代日本の礎を作った歴代総理大臣をご紹介。
初代 伊藤博文

大日本帝国憲法制定の中心人物として活躍するなど、明治を代表する政治家、伊藤博文。
旧千円札にもなった初代総理大臣の伊藤博文は、実は大がつくほどの女好きで女遊びのしすぎで破産し、家がなくなるまで遊びまくって明治天皇から毎回怒られていた。 家を失って野宿とかしてた伊藤博文を見て、一国の首相の家がないのはさすがにまずいという事で作られたのが、首相官邸の始まり。
第2代 黒田清隆

とにかく酒癖が悪かった黒田清隆は、気に入らないことがあると議会でピストルを振り回し、気の乗らない会議には出席せず酒ばっか飲んでた。
見かねて諭しに来た伊藤博文に向かって抜刀して、
北海道では酔った勢いで大砲を発射。
自分の政策を批判した井上馨の家に刀を持って押しかけ、井上が不在と聞くと、井上の奥さんを刀で脅して帰る。帰宅した井上が激怒し、帯刀して黒田宅に乗り込むも、こちらも不在で奥さんが対応する。奥さん達かわいそう。
第3代 山縣有朋

とにかく良いイメージのない人。大日本帝国陸軍の基礎を作った人。お金大好き権力大好きで賄賂とかウェルカムな人。庭園マニアで自宅の庭園のために国費も天皇から預かったお金も注ぎ込んじゃう人。
伊藤博文が暗殺されたとき「かっこよく死にやがってうらやましい。」と言った人。
第4代 松方正義

伊藤博文に負けないくらいの女好き。作った子どもは15男11女。
子どものうち数人は妾の子どもで、正妻であった満佐子さんが養育したとか。奥さんかわいそう。
ある日、明治天皇に「お前は子だくさんだと聞くが、子どもは何人いるのか」と問われ、あまりに子どもの数が多くて覚えてなかったのか「後日調査の上ご報告申し上げます」と答えた。
第8代 大隈重信

薩長藩閥以外で初の総理大臣であり早稲田大学の創始者。
早稲田大学野球部の始球式で大暴投して「先生の投げた球をボールにしてはいけない!」とバッターがとっさにバットを振って以来、始球式のボールはわざと空振りするということが習慣になったりと、若者に色々気を遣わせる人。
この人も伊藤博文が暗殺された時、「華々しい死に方をしやがって!」とうらやんだ。みんなどうかしてる。
第14代 西園寺公望

明治時代最後の総理大臣。戊辰戦争に従軍したりと、戦好きなお公家さん。
フランス留学時代、お金欲しさに超安い刀を「これ正宗だよ。まじで。」と偽ってフランス人に売りつけるなどする。フランス人かわいそう。
第18代 寺内正毅

顔が似てるって理由で「ビリケン宰相」ってアダ名付けられる。
めちゃくちゃ几帳面で細かくて口うるさいので「重箱の隅」ってアダ名も付けられる。
陸軍士官学校校長時には、学校の目の前の自宅に帰宅後も望遠鏡で生徒の行動を監視してた。
日露戦争時、なんでも合理的に進めたい寺内が「物資が不足してるから食用に殺した牛の皮を本国に送ってくれ。」と言うと、満州軍総参謀長だった児玉源太郎が「戦争中にそこまで気が回るか!」と激怒。
「ねぇ。牛のことで喧嘩しないで」と仲裁したのが伊藤博文。
進士 素丸