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雪の殿様 土井利位



市松模様や千鳥格子など江戸時代に流行した着物柄は数多くありますが、そのトレンドの火付け役は多くの場合、歌舞伎役者や町火消し、遊女、芸者といったところだったようです。

庶民は、歌舞伎役者の着物の柄や色などを真似、そこから流行が生まれ、今でも残っているものが数多くあります。

そんな中「雪華模様」と呼ばれるものがあります。

雪の結晶の形をあしらった柄でなんとも涼やかな柄で、江戸後期に大流行し現代でも伝統的な柄として残っています。

この「雪華模様」、歌舞伎役者や遊女が流行らしたというわけではなく、その出自が少し変わっています。

江戸後期、土井利位(どいとしつら)という藩主がおりました。

1789年(寛政元年)生まれの古河藩4代藩主で、一時は江戸幕府の老中首座まで出世し、かの大塩平八郎の乱を鎮めるのにも一役買った人物として歴史に登場します。

そんな土井利位、若かりし25歳の時、当時かなり高価な舶来品であった「顕微鏡」を手に入れます。土井利位はたちまち顕微鏡を覗くことに夢中になります。そこは今まで見たことのないミクロの世界。小さな昆虫や植物などを観察したり、時には家来の髪の毛を引っこ抜いて観察したそうです。

そんなある日、ふと庭先に目をやると雪がちらついている。

好奇心旺盛な土井利位、雪を顕微鏡で見てみたいと思い立つのにそう時間はかかりません。

そっと雪の一粒を掴み顕微鏡で覗くと、なんとも美しく細やかな結晶の世界。

このような模様は見たことがない。そして二つと同じものがないではないか。

すっかり雪の結晶の美しさと不思議な世界に魅了された利位は、以来20年にわたって雪の結晶を観察し続けます。雪が降りそうになれば、あらかじめ外気で冷やしておいた黒地の布に雪を受け止め、結晶が壊れないよう黒漆器にそっと移し、それを顕微鏡で観察し、さまざまな結晶を素早く、かつ正確に記録しました。

そして、研究の集大成として日本初の雪の自然科学書『雪華図説』を出版したのです。

雪の結晶を「雪華」と表すセンスもさることながら、その観察眼と正確な描写力には感嘆するものがあります。

当初、私家版として少部数のみ発刊された『雪華図説』、これが新しい物好きの江戸の町人たちの目に留まり、着物の柄にあしらう人々が現れ、たちまち「雪華模様」は大流行しました。

利位が描いた雪の結晶の模様は「雪華文様」「雪輪文様」と呼ばれ、今でも古典柄の分類に入っています。新たな文化の生みの親となった土井利位ですが、藩主としても財政改革などで手腕を発揮しました。しかし、政敵水野忠邦との権力争いに巻き込まれ老中職を辞職、その4年後に他界しましたが、死後も「雪の殿様」と呼ばれ町人たちに愛されたそうです。

進士 素丸


天保3年(1832年)に刊行された『雪華図説』

続編もあり、記された結晶は200に及ぶ。


雪模様の印籠。 利位が藩主を務めた古河藩では他藩にこうした雪模様の印籠をプレゼントしたとか。


雪模様が施された刀の鍔(つば)。武家にも雪模様が愛されていたことがうかがえます。

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